松本仁一著 岩波新書 2008/8
元朝日新聞のアフリカ・ウォッチャーによる、アフリカの現状のルポ。
本書で描かれているのは地中海沿岸地域を除くアフリカ全域。東部ソマリアから西部シエラレオネから南端の南アフリカ共和国まで、貧困と戦火と絶望に喘ぐアフリカの現在を素描している。
「猪木対アミン大統領」(という異種格闘技戦の構想がかつてブチ上げられたことがあった)などで、アフリカはすごいことになっているらしいというのはなんとなく知っていたものの、いや実際すごいことになっていた。
飢えや旱魃もすごいんだが、それに対する政府の無策ぶりがもっとすごい。
石油の輸出代金は政治家や役人のポケットに入っておしまいだし、民衆の怒りの矛先を大規模農場を経営する白人に無理やり向けさせて、なんの農業的知識も持たないチンピラに農場を占拠させてあっという間に荒れ地にしてしまう。植民地時代は農作物の輸出業であった国が、独裁の数十年で自給率数十パーセントの最貧国に転落する。下っ端の役人には給料の遅配は当たり前で、警察官や兵士、公務員がどんどん辞めていく。医者や技術者などの中間層は国外に逃げ出しいなくなる。独裁や民族対立がひどくなると国境を突破して隣国で流民化する。
俗に「政治腐敗」などと言うが、徹底的に腐敗した政治が、こうまで破壊の限りを尽くせるものとは知らなかった。何一つ生産的なことはせず、植民地時代に築かれたインフラの発展どころか維持すらできない。
ODAでも物資の援助でも、政府を経由したら最後、それが民衆に届くことはない。つまり、政府対政府の枠組みで行なわれるすべての活動は無効、ということだ。

アフリカに対する、中国資本の進出が著しいというのも初めて知った。台湾の向こう岸にある福建省の出身者が多いらしい。中国は二億人(って、日本の人口の倍ですよ)の潜在的余剰労働力を抱えていて、いわば「押し出し圧」のようなものが常に働くのだそうだ。で、日本にもアメリカにも行くけれど、アフリカにも行くわけだ。
工場がなくとも本国はすでに「世界の工場」で何でも安価に作れるし、地縁血縁のネットワークがあるから、まあ小さな商店を切り盛りするくらいのファンドはなんとかなる。
政府は政府で、トップ外交というかトップセールスを繰り広げていて、ひも付きODAをとっかかりに大資本もかなり入り込んでいる。受け入れる側にしてみれば、中国人がやってきて橋やら道路やら作って帰っていって、でも誰もメンテナンスできないから数年でダメになって……となるわけだ。
あんまりすごすぎて、結論も思いつかないわけだが、無理やりひねり出してみよう。
かつてマックス・ウェーバーが資本主義の背後にプロティスタンティズムを見たように、ある制度には、その制度を裏打ちするあるメンタリティが必要なのではないだろうか。
で、すごい偏見かもしれないんだけど、部族主義のメンタリティと、多部族国家という体制と、近代的な民主主義制度と、資本主義っていうのは、もしかしたら最悪の組み合わせなのかもしれない。多部族国家に民主主義を載せてしまうと、簡単に権力の独占が起きるし、資本主義はもちろん資本の一定の集中を前提とした仕組みだ。
歴史の歯車は後戻りしないが、狩猟採集をベースにした部族主義を、あまりに性急に近代化したために、こんな途方もない悲劇が起きてしまったように思えてならない。かといって、いまさら「ちょうどいい政治経済制度を思いつくまでサバンナでガゼルを狩ってなさい」というわけにもいかない。
著者が最終章に持ってきた、衣料品メーカーやNGOの事例は確かに希望ではあるけれど、そのささやかな成功とアフリカの巨大な闇を対比した時、私は言葉を失ってしまう。
そして、そんなアフリカに中国がトップとボトムから取り付き始めているという構図もまた、なんだかすさまじい構図である。
なんかもう、どうしていいかわからないので、原稿終わりにしていいですか。
すいませんねもう。
0 件のコメント:
コメントを投稿