普通は、案内板などで図書館の書架の配置を大まかに把握して、求める本が置いてありそうな棚に行って、「サボテン」「育て方」などのキーワードを頭の隅に置きながら、背表紙をサーチしていく、という方法を採るはずです。
実は、PhotoReadingってそういうことなんじゃないか、って思います。
ただしスケールが異なります。「図書館」=「PhotoReadingする本」で、「株分けの方法」=「目的の情報」です。
一冊の本の中から、自分が必要としている情報の場所を推定し、確認し、引っ張りだす方法。それがPhotoReadingの本質です。
私たちは長い時間をかけて「本は頭からお尻まで読むもの」という暗示を掛けられていますから、PhotoReadingの方法では「読んだ」気がしないのも事実。白状しちゃえば、私もそうです。
ここを乗り越えられるかどうかが、PhotoReadingを習慣化できるかどうかの最大の難関なのだと思います。
しかし、責任は「本は頭から〜」のメンタル・ブロックを乗り越えられないでいる私たちだけにあるわけじゃないとも思います。
よくも悪くも、PhotoReadingには表の顔と裏の顔があるんですよね。
表の顔ーーまったくPhotoReadingのことを知らない人に対しては、「速読」「10倍速く本が読める」といった言い方で、伝統的な本の読み方でスピードだけが上がるような印象を与えています。まあ、そういう打ち出しじゃないと、本も売れないだろうし、講座に人も集まらないでしょう。
で、裏の顔は、「伝統的な読書法に対して、10倍速く自分が必要とする情報をピックアップできる、画期的な情報検索術」という言い方。いや、「裏」は言い過ぎかな。上記のようなことは、『[新版]あなたもいままでの10倍速く本が読める(10倍本)
』にも書いてあるし、講座でも冒頭で教わることです。読んでいる、聞いている私たちがこのことをなかなか理解しないだけで。
「PhotoReadingは読書術・速読術じゃなくて、紙に情報を印刷してあるひとまとまりの情報からいかに効率的に自分が必要としている情報を見つけ出し理解できるかを追求した情報検索術である」ーーを、意識の上でも、体感的にも、理解できたかどうかが、PhotoReadingを習慣化できるか、元の逐語読書法に戻ってしまうかの差なのではないか、と思います。
「PhotoReadingは読書術・速読術じゃなくて、紙に情報を印刷してあるひとまとまりの情報からいかに効率的に自分が必要としている情報を見つけ出し理解できるかを追求した情報検索術である」ーーを、意識の上でも、体感的にも、理解できたかどうかが、PhotoReadingを習慣化できるか、元の逐語読書法に戻ってしまうかの差なのではないか、と思います。
と、偉そうに書いてきましたが、私自身、先日の講座の冒頭で玉川先生に「PhotoReadingは読書術じゃありません。新しい学習法だと思ってください」と言われるまで、気が付いていませんでした。同じことを園先生にも言われていたし、何度か読み返した『10倍本』にも明記してあったにも関わらず。それほど「PR=速読術」という刷り込みは強かった。
というようなわけで、たとえば「1冊まるまる、大扉から奥付までの間にあるすべての文字を目で捉えること」に達成感を感じるタイプの読書を望む方には、PRは全然お薦めできません。
それから、「写真を撮るようにページを画像として記憶して云々」という、右脳系マジカル読書術を期待される方も、思ってたのとちがーう!って思うんじゃないかな。
そういうマジカルなことを行なうステップもありますが、実はPR全体のプロセスの中で、マジカルな部分のウェイトはそんなに大きなものではありません。
むしろしごくまっとうで、本来の目的を念頭に、本全体の構造を把握して、求める情報がありそうな箇所を絞り込んでいって、明確に理解する、というやり方です。要約力とか、洞察力とか、文脈掴み力とか、受験現代文的なテクニックとか、そっちの力の方が必要とされるし、鍛えられもするでしょう。
というわけで、ちょっと前まで私自身も明確に問題化できていなかった「伝統的な読書法とPRの違い」について気が付いたもんですから、長々と書いてみました。
でもね、実はちゃんとマジカルもあるらしいんですよ奥さん! フィクションを読むときに、こうしてこうしてああすると……という話は、また今度書きますね。
0 件のコメント:
コメントを投稿