2009/12/14

『くらやみの速さはどれくらい』

エリザベス・ムーン著 小尾美佐訳 早川書房 2008/12



PR再受講前から読んでいた長編SF。
再受講でPRがフィクションにも有効なことを知り、半分くらい普通読みしたところで、あらためて全体をPRして、たった今読了。

近未来、完璧な自閉症の治療法が確立している世界が舞台になっている。治療法は出産前ないし出産直後に施さないと効かず、主人公のルウはギリギリのタイミングでそれを受けていない。が、ブレークスルー前の治療を受けなんとか社会生活を維持するに足る能力を得て、彼と同じ境遇の人々と一緒に、高度に専門的なパターン解析の仕事をし、自活している。

ルウの視点を通して淡々と描かれる日常に、いくつかの出来事が起きる。フェンシングクラブの仲間だったドンに嫉妬され、いやがらせを受けたこと(と、それをきっかけに少しずつルウが変わり始めること)。会社が市場に出そうと考えている画期的な自閉症治療法(ただしチンパンジーでしか実験していない)の被験者になることを強要されること。そして、フェンシングクラブのマージョリに恋をすること。

画期的自閉症治療法は当初、リストラをちらつかせながら脅迫的に強要されたものだが、やがて健常者の中間管理職の奮闘で、フェアな条件で本人が適用を選べるようになる。ルウは煩悶しながらも、最後は……というところが物語のハイライトなので、ここには記さない。

それにしても、ルウの目を通して描かれる世界のなんと美しいこと。腕時計が反射した光が壁に明るい染みを作ることとか、回転螺旋のモビールがもたらす複雑な規則性がいかに音楽的で安らかなものか。ルウの住む世界を濃密に描くことによって、やがてやってくる避けられない「変化」は、対比的にある種の悲劇として、読み手の心を打つことになる(ただし、著者はその健常者的達成を成功とも不幸とも、達成とも喪失とも明言していない)。

その近未来的な設定によって、また作者のこれまでのキャリアから、本作はSFとされるが(ネビュラ賞受賞作だし、早川書房から出ているし、訳者は『アルジャーノン』の小尾美佐さんだし)、そのことが読者を選んでしまうのであれば不幸なことだ。同じ近未来を舞台にしたカズオ・イシグロの『私を離さないで』がどれくらい読まれたかは知らないが、かの作品が作者のキャリアによって純文学とされるのであれば、本作も同じ扱いを受けていいように思う(が、もしかしたら「純文学」の方が「SF」より市場が狭かったりして)。


さて、PRの効果だが、ちょっとは有ったように思う。以下、そのやり方。

読む目的を、「ギミックを楽しむ」「文体を楽しむ(『アルジャーノン』のように、きっと叙述のスタイルで主人公の知能や境遇が表されるだろうと思ったから)」、「ストーリーを味わう」として、5分くらいでPR。「構造」では、特にタイトルのない21章構成であることを押さえ、トリガーワードでは登場人物名を拾い、簡単なMMにまとめた。スーパーリーディング&ディッピングやスキタリングは行なわず、高速リーディングで最後まで読み進んだ。

効果があったのは、さまざまな登場人物が(ルウとの関わりの中で)出てくる際に、つねにルウを中心点に置いて、ルウとの関連で登場人物を捉えられたこと。「あれ、この人誰だっけ? 味方だっけ敵だっけ?」がなくなって、ストーリーに集中することができた。

登場人物の多い小説はわりと苦手で(同じ理由で登場人物の多い映画も苦手)、敵ー味方関係なんかを薄ぼんやりとしか認識しないまま読み進んでしまうこともあったのだが、登場人物MMを作るというのはよかった。玉川先生に教わったんだけど。ひと手間かけることで物語により深く集中できるのであれば、やらない手はない。

フィクションにおけるPRのメリットを実感した一冊にもなりました。

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